徳島のくすりの歴史

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徳島と製薬業の歴史

1. 当協会の発足まで

徳島県における製薬は阿波藍とともに発達し、和漢薬を原料とする家伝薬から始まります。戦国時代の末期から安土桃山時代に他国から阿波に移住してきた者によって製薬されました。江戸時代に入り、蜂須賀藩の奨励等もあって次第に製造業者が増え、その販路も拡大。敬震丹、活寿丸、肝臓円、百毒くだし、浣胸散、順栄湯等は古くから売薬としてこれまで販売されてきました。

江戸末期には、和蘭医学が輸入され洋薬は和漢薬とともに民間に普及し、明治中期には本県の売薬製造家は増加し、大正初期には600人を超えるほどでした。

明治中期ごろから化学製品を生産する工場も現れ、大正に至って鳴門市には苦汁を原料とする医薬工業を経営するものが10数人を超え、特に当時の撫養町は製薬街の観がありました。県下の業者数は600人を超え、全国的にも製薬県と称されるまでに。大正7年の売薬生産額は全国6位でした。

第2次世界大戦に突入後、医薬品は軍部が大量に吸収、製造業者の生産も厳しく制限され、昭和18年に企業整備令により、大塚製薬工場、富田製薬所、富松製薬株式会社の3社を除く県内企業は「徳島県製薬株式会社(統制会社)」を結成しました。

昭和20年終戦後、統制医薬品は解除となりましたが、一部の医薬品は極端な原料不足や不良品が横行。徳島県製薬株式会社(統制会社)は昭和22年に解散し、各企業に復帰しました。

2. 当協会の誕生

昭和24年1月、当時の県当局の提唱を受け、大塚 皓(東邦薬品工業株式会社)、富松武助(富松製薬株式会社)、犬伏元貞(犬伏古松軒製薬所)、大塚武三郎(大塚製薬工場)、佐藤徳三郎(元徳島県製薬株式会社)ら発起人が会合を重ね、県内医薬品製造業許可業者22人全員の賛同者を得て、昭和24年5月3日の憲法記念日に「徳島県製薬協会」を設立しました。

設立当時の主な目的は、団体をもって厚生省に統制物資および医薬品原料などの配給割当てを陳情すること、昭和23年に交付された薬事法の周知・研究等でした。

参考

他の主要製薬団体の設立時期
大阪医薬品協会 昭和23年6月
東京医薬品工業協会 昭和23年7月
日本製薬団体連合会 昭和23年10月

3. 当協会の発展と関連薬業団体の発足

(1)徳島県製薬指導所の設立

昭和35年から製薬において先進していた他府県(富山、滋賀、京都、神奈川、佐賀)の製薬指導所の視察調査を4年間実施し、徳島県製薬指導所設置を当局に働き続けた結果、昭和38年10月20日に起工式、昭和39年4月28日に完成しました。

(2)月例研究会(定例研究会)の立ち上げ

昭和35年、大塚正士会長より「われわれ企業経営者は時代に遅れぬよう会員各位が常に研さんを積み、優良な事業者になるために、各工場の作業終了後、午後6時から夕食を共にしてその1日を反省し、明日への企業経営に備えるため、講師を招へいして、お互いが勉強をする会を開催してはどうか」との提案があり、昭和35年8月7日に第1回月例研究会を開催しました。以後この定例研究会は現在までほぼ毎月開催され、平成28年5月で第659回を数えました。

この会は当初開催日をとって「7日会」と呼んでいましたが、加盟企業の都合で月初めの開催は困難なことから現在は毎月中頃に開催されています。

月例研究会では、講師の話とは別に、毎会のように議論風発、特に大塚正士会長の人生・経営談義は出席者に強い感銘と影響を与えました。

(3)徳島県製薬工業協同組合の発足

昭和24年8月に中小企業等協同組合法が施行されたのに伴い、同法に基づいて徳島県製薬工業協同組合が昭和25年6月9日に設立されました。同法の施行直後で十分な指導機関や資料も少なく当初は困難を極めましたが、徳島県製薬協会の事業の一部とすることにして、同会会員の中から希望者20人が参加し全国で10番目という早い設立でした。

本組合の事業は、企業運営資金融資事業を重点に、運転資金、設備資金等を組合が債務者となって商工組合中央金庫から借り入れし、組合員に必要額を転貸。現在、組合員数は半減しましたが、組合事業は充実・活発に行われています。

(4)徳島県製薬工業団地協同組合の誕生

昭和43年2月に県当局より、徳島市川内町今切の県工業団地に、製薬企業の集団化による事業協同組合の組織化の提案がありました。当初の事業計画は、県今切工業団地82,500㎡(2万5000坪)を購入し、県内製薬企業の中小企業者を集約することでした。また土地購入資金や工場建設資金等は中小企業振興事業団の融資を予定していましたが、必要な組合員20人に満たなかったため融資は断念、自己資金と地元銀行での一括借入とすることになりました。

昭和43年11月8日に賛同者9人全員が出席して創立総会を開き、資本金400万円で昭和43年12月26日に設立登記を完了しました。

その後、組合員の増減や工場用地の変更等があり、昭和44年8月1日、徳島県開発事業団と土地売買契約を締結。(土地面積110,780㎡)

その後、組合道路側溝・舗装工事、給排水設備工事等を行い、昭和49年2月28日までに徳島県開発事業団に土地代金総額(購入価格274,845,000円、利息45,477,225円)を完納。これにより各組合員へ土地を譲渡し、昭和49年3月28日に所有権の移転登記が完了しました。

(5)徳島県医薬品配置協議会の設立

徳島県製薬協会は「一般医薬品製造部」「工業薬品製造部」「配置家庭薬製造部」「農薬製造部」「衛生材料加工部」の5部門によって組織されていました。

当時の配置薬は、無登録業者や不正業者が多く、不良医薬品の氾濫と不正行為の激増等から県民の保健衛生に及ぼす影響が危惧されていました。これらの適正化を図ることが必要との県当局の要請もあり、徳島県製薬協会の配置家庭薬製造部が中心となって検討を進め、昭和26年10月23日に全国に先駆けて「徳島県配置家庭薬協議会(その後徳島県医薬品配置協議会と改称)を設立しました。

(6)薬祖祭

昭和28年9月の徳島県製薬協会の理事会で、富田貞三郎副会長の提案を受け、医薬の祖神である少彦名命を祀ることを業界の行事として徳島県製薬協会が実施することになりました。既に富田製薬は毎年11月23日の勤労感謝の日に、全従業員が参加して薬祖神に感謝の念を捧げ、優良医薬品の製造を祈願しているとのこと。

同日の決議に基づき、片田勢一事務局長が少彦名命薬祖神である大阪道修町に赴き「神霊みたま移し」の儀を執り行って製薬協会へ薬祖神を迎え、昭和28年11月28日に忌部神社において第1回の薬祖祭を製薬協会主催(祭主:大塚正士会長)で挙行しました。

第2回薬祖祭は春日神社で行い、昭和30年からは「薬と健康の週間」の行事の関係から徳島県薬業団体連合会(徳島県薬事協議会の前身)に移行し、会場も県庁議事堂に変更されました。昭和31年に春日神社に立派な拝殿が建設されたので再び同神社で行われるようになりました。

(7)優良従業員の表彰

昭和28年9月の製薬協会理事会で、薬祖祭行事を決議するとともに、大塚正士会長より生産性の向上等のため各社の優良従業員を表彰することが提案され満場一致で決まりました。

表彰方法は、製薬協会が内申し、徳島県衛生部長が表彰することで県当局の承諾が得られました。

昭和28年11月25日に県主催で「第1回優良従業員表彰式」を行い、昭和29年からは薬祖祭行事と併行して実施してきましたが、昭和42年からは優良従業員の表彰は感謝状贈呈に変更されました。

平成15年度からは優良従業員への県保健福祉部長からの感謝状贈呈は廃止となり、代わりに徳島県薬事協議会長から「薬事功労感謝状」が贈呈されています。

(8)徳島県薬事協議会の発足

終戦直後の混乱した世相の中で、不良不正医薬品の流通や無登録者の増加、覚せい剤等に起因する事件が多発。このため、徳島県は不良医薬品の撲滅や薬事法による諸規定の順守および優良医薬品の増産等の目的で、衛生関係民間団体の協力を得るため、昭和24年に「薬事指導協議会」を設立しました。役員は官庁12人、民間104人でありました。

昭和32年、この指導協議会を母体に、その運営を民間主導に移行するため、県当局の指導で「徳島県薬事協議会」が発足しました。

参考資料

  • 1.

    創立十周年記念「徳島県製薬史」(昭和34年)

  • 2.

    創立二十五周年記念「徳島県製薬史」(昭和50年)

  • 3.

    「徳島県製薬協会裏話」(昭和53年)

  • 4.

    「徳島県薬業史」(昭和63年)